集会員・喜びおたすけ委員会 新年号あいさつ
「ひながたの道」を求めて
集会員という立場をお与えいただき、間近で真柱様御自らご発布くだされた「諭達第四号」を聞かせてもらい、「ひながたの道を通らねばひながた要らん。」というお言葉に、言いようもない感動が湧き起こってきました。
今まではひながたと聞いて頭の中を巡るのは、貧に落ちきられた道中、やっと手に入ったお米を惜しげもなく乞うものに与える、その教祖のお姿です。
このひながたは果たして誰でも通れるひながたでしょうか。少なくとも私には自信がありません。それではあきらめてしまうのか。そうなると「ひながたの道より道が無いで。」と言われた教祖の御心に反してしまう。この堂々巡りのような思案を、随分と若い頃から考えてきましたが答えの緒すら見つかりませんでした。
しかし、久しぶりに聞かせて頂いた真柱様の肉声が私の心に反響を起こし、教祖はわざわざ通れないひながたを通れと言っているのではない、今のおまえの成人にふさわしいひながたを考えてみよ、ということではないか。明日食べるお米がないという極限の状況では無理だとしても、余裕のあるものならば離すことはできる。
ひながたの道に照らせば、自分のものと思っていたことやものは、本当に私のものなのか。全ては神様からのかりものであって、本来は分け合って使うものではないのかということに気づきました。
5年ほど前、さあ神殿ふしんに取りかかろうと言うときに、胆振東部大地震に遭い、2階建ての大きな物置が損傷し、取り壊さなければならなくなりました。時が経ち今やガラクタと化した膨大なものを眺めていると、我が心にたまりにたまったほこりをそこに見たのです。これではふしんには取りかかれない。先ずはこのガラクタと共に我が心のほこりを払い、そこから始めなければならないと。以来、多くの方の協力の下、教会内のものの整理と掃除に明け暮れ、ふしんも無事に完成しました。何とかスタート地点が見えてきた今、小さくても確実な一歩を踏み出そうと思います。
ちかみちもよくもこふまんないよふに たゞ一すぢのほんみちにでよ
おふでさき 五号 30
集会員 笹田道継