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2024年5月13日

災救隊
被災地 珠洲市へ出動

「令和6年能登半島地震」が1月1日夕方に発生し、石川県志賀町で最大震度7、石川県七尾市、輪島市、珠洲市、穴水町で震度6強を観測するなど、強い揺れに襲われた。災害救援ひのきしん隊(=災救隊)本部は、1月15日より現地での活動を開始、近隣教区をはじめ、これまでに要請を受けた各教区隊が出動している。
 北海道教区隊(三幣敦志隊長)は5月4日から7日まで、15名が珠洲市にて救援活動にあたった。

 中田善亮表統領の出動要請を受け、当教区災害対策委員会は、本部派遣第27次隊としての出動を決議した。ブロック塀の解体を主とする中、被災者のニーズに応じた、多岐に亘る救援活動を行った。
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 5月3日、教務支庁に隊員が集合し、お願いづとめの後、奥村災害対策委 員長が挨拶。出動にあたっての心構えを再確認し教務支庁を出発。フェリーにて小樽を出港後、新潟より陸路で輪島市入り。能登半島を北上するにつれ、アスファルトは波打ち、倒壊したままの家屋も多く、被災地の現状を再認識した。
 
5月4日夕刻、宿営地である輪島市内の日本航空学園 能登キャンパスに到着。19時より結隊式が行われ、北海道、山口、佐賀教区隊が入隊した。おつとめに続いて西正一郎副本部長より、これまでの経緯について説明があった。今後は、青年会隊も加わり、4隊で作業する旨も伺い、「教区隊として限られた期間での活動となるが、こうした皆さんとの真実の積み上げが大切」と挨拶を頂いた。
 また現地の清水栄宏 石川教区長は、「石川の地に、足を運んでくださりありがとうございます。皆さんの活動、その姿は、地域の人の疲弊したこころに元気を下さる。本当に感謝しかありません」と御礼を述べられた。
 宿舎は、通電しているが、一部を除き水道が利用できず、トイレは、200㍍離れた仮設トイレと350㍍離れている能登空港のトイレを利用。空港には、道の駅が併設されており、24時間解放されていた。
 
5月5日、宿営地から車で1時間30分の能登半島西側、珠洲市片岩地区で救援活動を開始。本教災救隊としても初めて活動を行う地域である。建物所有者へご挨拶の後、横倒しになったブロック塀の解体を行い、電動ハンマーやコンクリートカッター、グラインダーを駆使し、人力でも大ハンマーによる解体を進め、ダンプで処分場へ運搬した。
 
5月6日早朝、余震に見舞われた。震度2であったものの、地鳴りと同時に、突き上げられるような揺れを感じた。
 この日、救援活動にあたったお宅のご婦人は、「思い出があって、思い入れもある家ですからね。壊れたブロック塀を片づけて下さる様子を見て、少し前向きになれそうです。感激で嬉しくて、本当にありがたいです。ありがとうございます。」と何度もお礼を述べられていた。思い出の我が家を幾度も撮影される姿が印象的であった。
 また奥村災対委員長も現地入りし、共に作業にあたった。
 
5月7日の最終日は、朝から雨模様であったが、北海道教区隊が担当した現場すべての作業を完了した。解隊式の中で、冨松基成本部長が挨拶とお礼を述べられ、こどもおぢばがえり開催に伴い、現拠点での救援活動を6月末で一区切りとする事も伝えられた。 
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 甚大なる被災状況を目の当たりにする中、「長年の思い出が詰まる住まいを解体することも、片づけることも困難であったが、5か月を経て、はじめて前に進む事が出来そうです」と、現地の方から感謝の言葉を頂き、被災された方々の思いを、切に感じた。宿営地への帰路には、「ご支援ありがとう」の看板が至る所に掲げられていた。
 教祖年祭活動の中、お見せいただいた大節に込められる思召を改めて思案し、災害の起きない日々を祈ると共に、災救隊としてこの先も継続的な救援活動とたすけあいの実践、ひのきしんの実行を推進していきたい。